世界で見る花粉症の歴史は紀元前から始まっていた!?
日本の花粉症の歴史は、意外と深くて短いのが特徴です。
島国である日本は、和食を食べてきたこともあり、バランスの取れた免疫力と、バランスの取れた自然環境であまりアレルギーを起こす人間が少なかったのですが、大戦を境に大きくその環境を変えて、花粉症が国民病と言われるまでに広まってしまいました。
では、一方で世界的に見ると花粉症の歴史はどのようなものでしょうか?
実は、世界で見ると花粉症は『医学の父』ヒポクラテスの著書に載るほどに、大昔からあった症状だったのです。
紀元前
医学の父と言われるヒポクラテスが「季節と風」についての風土病を記したのが,紀元前500年程前のこと。
これによると「季節と風、体質による風土病、転地療法が有効」と記されており、花粉症を彷彿とさせる記述であることがわかります。
古代ギリシャの医師で、医学を迷信や呪術ではなく科学として確立させ、医師の理論性を立ち上げ、患者の治療に当たった、医師の元祖のような人物。医師の父、聖医、疫学の祖とも呼ばれる。
紀元前150年頃、ローマ帝国の医者であったガレヌスが、花粉症らしき患者を診たという記録があります。
しかも、ヤギの乳についての食物アレルギーに関する文献ものこされています。
バビロニアのタルムードにも卵白アレルギーの対処法などが書かれており、さらに、紀元前100年頃の中国の文献にも、春に鼻水・鼻詰まりがあるということが書かれた書物があり、相当昔から、やはりアレルギー・花粉症というものがあったということが推測されます。
ユダヤ教の聖典。
他の聖典と違い特徴的なのは、神の教えだけではなく生活全般の知識や商業に関する知識が含まれている事。
近代
16世紀には、イタリアでバラ熱と呼ばれる症状が確認されるようになります。
バラは花粉を飛散しないので、花粉症とは言い難いのですが、近代医学における花粉症の最古の記録とされています。
また、確かな臨床記録は1819年のイギリスの医師、ジョン・ボストックが発表した、枯草熱は、今で言うイネ科の花粉症です。
この枯草熱が花粉症の大本となる病名であり、20世紀までヨーロッパ各地で使われる言葉でした。
そして、1831年同じく、イギリスのエリオットソンが、枯草熱の原因が花粉であると言うことを発見、1873年にイギリスのバークレイが「枯草熱あるいは枯草喘息の病因の実験的研究」を発表。
世界的に、枯熱草と呼ばれていた症状が「花粉症」と言われるようになりました。
このことにより、自分も花粉症だったバークレイは花粉症の父と呼ばれるようになりました。
花粉症の研究が進んでいたのが、干し草による花粉症に悩まされていたイギリスというのも面白いところですが、1872年には北アメリカでブタクサによる花粉症患者が拡大し、ブタクサの枯草熱(Hay fever)と言われていました。
因みに、なぜイギリスがここまでイネ科植物の花粉症で悩まされたかというと、当時イギリスはスペインの無敵艦隊を撃退し、領土拡大を図っていたため、イギリス国内の森林は軍艦の製造のためにほとんど伐採されてしまいました。
その後、イギリスに産業革命が起こり、大気汚染と減少した森林、そして増えた牧草地のためにカモガヤが大繁殖。
花粉症患者数が増えることになったのです。
これって……同じ海に囲まれた日本と同じような花粉症の歴史だと思いませんか?
20世紀には正式に「アレルギー」というものが認められるようになり、さらなる研究が進むようになったのです。
世界の花粉症の歴史のまとめ
紀元前500年頃:ヒポクラテスの著書に季節の風土病の記述。
現在で言う、花粉症である可能性が高まる。
紀元前150年頃:ローマ帝国の医師ガレノスが山羊の乳についてアレルギー的な疾患があることを記した記録があり、同様に花粉症疾患のような患者がいたようなことも書かれている。
紀元前100年頃:中国の文献に、春先の鼻水・鼻詰まりといった花粉症症状の記録が残されている。
1565年頃:イタリアの医師により「バラ熱」という、バラの花粉症(と言われる)症状が確認される。
1819年頃:イギリスの医師、ジョン・ボストックが「枯草熱」を確認、発表する。
1931年頃:イギリスの医師、ジョン・エリオットソンが枯草熱の原因が花粉であると発表。
1872年頃:北アメリカでブタクサによる花粉症患者が増加。
1873年:イギリスの医師バークレイが花粉症についての論文を発表。
枯草熱が花粉症であるという認識が広まる。
1906年:ウィーンの小児科医ピルケがギリシャ語の「奇妙な」と「働き」という単語を合わせ「アレルギー」という言葉を作る。
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